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札幌地方裁判所 平成6年(行ウ)19号 判決 1997年1月27日

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  原告の請求

被告が原告に対し、平成元年一〇月三〇日付けでした地方公務員災害補償法による通勤災害非該当認定処分を取り消す。

第二  事案の概要

本件は、地方公務員が勤務を終え自動車を運転して帰宅する途中、他の自動車と衝突し、そのころ死亡したことについて、その妻である原告が、地方公務員災害補償法に基づき通勤災害の認定を請求したところ、被告から、死亡は通勤中の事故又は事故による傷病によって生じたものではないとして通勤災害非該当の認定処分を受けたため、その処分の取消しを求めた事案である。

一  争いのない事実

1  成田同の死亡

原告の夫である成田同(五三歳)は、芦別市建設部都市計画課事業係に技師として勤務していたが、平成元年四月一九日、午後八時一〇分に時間外勤務を終え、自家用普通乗用自動車(本件車両)をシートベルトを装着のうえ運転して帰宅する途中、午後八時一〇分すぎころ、芦別市南二条東二丁目三番地先の五差路交差点(本件交差点)に差し掛かった。

本件車両は、芦別市役所方向から上芦別方向へ南に向けて進行し、対面信号が赤であったにもかかわらず、時速約三〇キロメートルで本件交差点に進入したため、本件車両の走行道路と斜めに交差する国道三八号線を北西方向から上芦別方面へ進行していた五島智美運転の自家用普通乗用自動車(相手車両)の左後部側面に本件車両の右前部が衝突し、本件車両は、更に道路左側の歩道の縁石に衝突して、左前輪を歩道に乗り上げ停止した(本件事故)。成田同は、同日時ころ、死亡した。

2  通勤災害非該当認定処分

原告は、平成元年五月一〇日、被告に対し、成田同の死亡が通勤により生じた災害であるとして、地方公務員災害補償法に基づき通勤災害の認定を請求したが、被告は、同年一〇月三〇日付けで、成田同の死亡が通勤に起因するものではないとして、通勤災害非該当と認定する処分をした(本件処分)。

原告は、同年一二月二八日、地方公務員災害補償基金北海道支部審査会に対し本件処分について審査請求をしたが、同審査会は、平成五年五月一三日付けで、原告の審査請求を棄却するとの裁決をした。原告は、同年六月二一日、地方公務員災害補償基金審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会は、平成六年四月六日付けで、原告の再審査請求を棄却するとの裁決をした。

二  争点―成田同の死亡の通勤起因性

(原告の主張)

1 成田同は、以下のような事情のもと、通勤途上で発生した本件事故に起因する外因性ショックあるいは脳幹部挫傷により死亡したものであり、その死亡が通勤に起因することは明らかである。

(一) 成田同は、平成元年四月一日から一三日までは通常勤務をしていたが、翌一四日から一九日までの六日間は土曜日及び日曜日を含めて連日の時間外勤務や札幌市での出張があり、本件事故当日も、風邪により通院して投薬を受け、午後八時過ぎまで時間外勤務をして疲労を抱えていた。このように、成田同の勤務状況は短期間に急激に変化し、高血圧症で治療を継続していた成田同にとって、本件事故当日の勤務はいっそう過重労働であった。

(二) 本件交差点は五差路で、成田同が走行していた道路は交差する国道三八号線に比べて見通しが悪いうえに、信号機の数が多く、その点滅も複雑な作動をしていて信号を見誤る可能性があった。そして、成田同は、公務過重による過労、風邪による体調不良という特別な事情が重なって、本件事故直前には自動車運転者として必要な注意能力が低下していたため、赤信号を見誤り、あるいは見落として本件交差点に進入した。成田同は、本件交差点進入後、本件車両のハンドルをやや左方向に切って衝突を回避しようと試みており、本件交差点に進入した時点で死亡又は高度の意識障害を発症していた事実はない。

(三) 本件車両は、本件事故により、助手席側の床が抜け落ちて透き間があき、左前輪はタイヤがパンクしてホイールも変形し、ドライブシャフトが折れるという損傷を受けており、本件車両には、左前輪を主体に相当大きな衝撃力が加わった。

(四) 成田同の呼吸及び心臓機能は、本件事故後、極めて短時間のうちに(遅くとも一〇分以内に)停止している。脳幹出血ないし脳出血又は脳幹梗塞ではこのような即死に近い短時間での死亡は通常あり得ず、死亡後の検査でも髄液が血性であったかは明らかでないから、死亡原因を脳出血又は脳梗塞と推定することには疑問がある。成田同は高血圧症ではあったが軽度のものであり、治療も続けていたうえ、本件車両に加わった衝撃は相当程度大きかったと考えられるから、成田同の死亡原因は、本件事故を原因とする外因性ショックないし脳幹部挫傷、特に後者と推認するのが合理的である。

2 仮に成田同が脳出血により死亡したとしても、赤信号を見誤って交差点に進入したという異常な体験と、相手車両との衝突が避けられない状態となったことによる驚愕、精神的緊張が血圧の急上昇をもたらし、高血圧症を急激に増悪させた結果であり、本件事故が共働原因となって脳出血が発症したのであるから、成田同の死亡と本件事故との間には相当因果関係がある。

(被告の主張)

成田同は、以下の理由から、本件交差点に進入する以前に、脳幹出血、脳幹梗塞あるいは心筋梗塞などの病的疾患を発症し、これを原因として死亡したものと推認するのが最も合理的であり、本件事故と成田同の死亡との間には相当因果関係がないから、通勤起因性は認められない。

(一) 成田同の本件事故直前の勤務状況は、過労状態に陥るようなものではなかった。本件事故は、職場を出てから時間にして最大五分程度、距離にしてわずか七〇〇メートルの地点で発生しており、本件事故直前、成田同の自動車運転者としての注意能力が低下していたとは考えられない。

(二) 本件交差点は、成田同の進行方向から見て見通しが良く、対面する信号機は一つで極めて見やすく、その作動状況も通常の信号機と同様のもので複雑に作動するものではない。成田同の進行方向からは他の信号機を認識することはできず、通い慣れた通勤路であるから、たとえ五差路であっても対面する赤信号を見落としたり、他の信号と見誤ったりする可能性はない。また、本件車両は、減速やハンドル操作をすることなく交差点内に進入しており、衝突を回避する手段は全く講じられていない。

(三) 本件車両の損傷は、運転席側の前部がへこんでいる程度のものであり、室内に変形は認められず、相手車両の損傷部分にも車両を引きずった形跡がない。本件事故の衝突の態様は瞬間的な接触であり、成田同はシートベルトを装着していたのであるから、衝突後停止するまでのいずれの時点においても、本件事故による衝撃は、外因性ショック死あるいは脳幹部挫傷を発症させるほど強度のものであったとは考えらない。本件車両が左前輪は歩道に乗り上げたが、右前輪を歩道の縁石に止められた状態で停止していることによっても、縁石に衝突した時点での速度は極めて低速であったと推測され、その衝撃も大きいものであったとは思われない。

(四) 成田同は、高血圧症により昭和六一年以降降圧剤を投与されており、高血圧性脳出血を発症させる高度の素因を有していたうえ、本件事故当時は、高血圧性脳出血を発症しやすい年齢であった。

(五) 成田同には、本件事故による外傷はなかった。成田同は、本件事故直後、警察が到着するまでの間、手を上げるとか顔を上げるなどの動作をすることはなく、小刻みに体を震わせて、目は両方とも白眼をむいている状態にあり、その後、極めて短時間のうちに呼吸停止、心停止となって死亡した。

第三  争点に対する判断

一  成田同の死亡に至る経過

1  証拠(甲一四、一七、二一、乙八の1・2、一二〜一四、一六〜一八。甲号証と乙号証が重複するものは、原則として甲号証を摘示する。以下同じ)によれば、次の事実を認めることができる。

成田同は、本件事故直後、本件車両の運転席に腰を下ろし、助手席側に上体を倒した姿勢で、全身をけいれんするように小刻みに震わせており、手を上げるとか顔を上げるなどの動作をすることはなく、目は両方とも白眼をむいている状態であった。午後八時一八分、救急車が現場に到着した。成田同の身体に外傷は認められなかったが、その顔面は蒼白で意識はなく、既に呼吸も脈拍もなかった。午後八時二五分、成田同は市立芦別病院に収容されたが、医師の診察を受けた午後八時二七分には、瞳孔が拡大し、呼吸停止及び心停止の状態にあり、点滴と心マッサージを受けても蘇生することができなかった。医師は、本件事故が発生した午後八時一〇分ころを死亡時刻と診断した。

2  この事実によれば、成田同は本件事故の直後において、呼吸停止及び心停止により即死に近い状態で死亡したものである。呼吸中枢及び心臓中枢が脳幹部に存在することを考慮すると、成田同は、そのころ脳幹部に致命的な異変を来して死亡したものと推認することができる(なお、証人阿部弘の証言によれば、一般に、このように即死に近い状態で死亡する原因としては、ほかに心筋梗塞を想定することもできる)。

二  外力による脳幹部損傷の可能性

1  争いのない事実及び証拠(甲九、一〇、一二、四三の1、乙二の24、二六)によれば、次の事実を認めることができる。

本件車両が走行していた道路は、本件交差点において、相手車両の進行方向に向かって左側から、相手車両が走行していた国道三八号線と約三〇度の角度をもって鋭角的に交差して合流している。相手車両も時速三〇キロメートル程度で進行していたが、本件車両は、相手車両の左後部ドアに本件車両の右側面先端部を衝突させた後、方向を左に変えて道路脇の歩道の縁石に左前輪部を衝突させ、左前輪を歩道に乗り上げ、右前輪を歩道の縁石に止められる状態で停止した。本件車両の右側面先端部には、後方から前方へ押し出されたような形の凹損が生じ、車室の変形はなかったが、助手席側の床が抜けて透き間があき、左前輪はタイヤがパンクしてホイールが変形し、ドライブシャフトが脱落した。相手車両の左後部ドアには凹損が生じたが、その運転者である五島智美は負傷しなかった。

2  この事実によれば、本件車両と相手車両とは比較的浅い角度で接触に近い形で衝突したものと推認され、この衝突時の衝撃はそれほど大きなものではなかったということができる。これに対し、本件車両が歩道の縁石に衝突して乗り上げた際の衝撃は、本件車両の左前部の損傷からみれば、相手車両と衝突した際の衝撃と比較して相当程度大きなものであったということができる。

3  しかし、証拠(証人阿部弘)によれば、外力による脳幹部の損傷は、頭部が強く回転して脳にねじれが加わるような非常に大きな外力が頭部に及んだ場合に生じるものであり、そのような場合には大脳が損傷して脳幹部も損傷するのが一般的であることが認められる。

本件車両が歩道の縁石に衝突して乗り上げた際の衝撃が相当程度大きなものであったとしても、車室に変形が生じなかったことや、成田同がシートベルトを装着し、本件事故後も運転席に腰を下ろした位置にとどまって、その身体に外傷が認められなかったことも併せて考慮すると、成田同の頭部に対する衝撃が脳幹部に挫傷などの損傷を生じさせるほど強大なものであったと認めるには、疑問が大きい。

三  本件交差点への進入態様

1  証拠(甲一二、三一、三二、四八の3〜10、乙一二、二六)によれば、次の事実を認めることができる。

本件車両は、本件交差点の手前で速度を落とすことなく、まっすぐに本件交差点に進入した。本件車両の走行車線上には、衝突地点付近にブレーキ痕はない。成田同の進行方向からの本件交差点の見通しは良く、本件交差点において対面する信号機は一つである。成田同の進行方向からは、本件交差点手前の停止線付近で、ようやく相手車両の進行方向に対面する国道三八号線の信号機を認識することができたが、本件交差点に進入しない限りその他の信号機を認識することはできない。本件交差点は成田同の通常の通勤経路上にあり、芦別市役所から約七〇〇メートルの距離にあって、成田同は、昭和五〇年以来、この経路を自動車で通勤していた。

2  争いのない事実及びこれらの事実によれば、成田同は、芦別市役所を出発して間もなく、対面信号が赤であった交差点に速度を落とすことなく進入し、ブレーキを掛けることなく相手車両と衝突したものと理解することができる。本件交差点が成田同にとって通い慣れた場所であり、勤務先を出発してから本件事故に遭うまでの時間が極めて短いことを考えると、成田同が赤信号を見落とし、あるいは対面する信号を他の信号と見誤った不注意により本件交差点に進入したものとは考えにくい。

もっとも、証拠(甲二〇、二五、二六、三七、四七、乙二五、原告本人)によれば、成田同は、平成元年四月一四日から一九日までの六日間は、同月一七日及び一八日に札幌市への一泊の出張があったほか、土曜日及び日曜日を含めて連日時間外勤務が続いて疲労を抱えていたこと、本件事故当日である一九日には風邪のため通院して投薬を受け、眠気を催す成分を含む風邪薬を服用していたことが認められるが、これらの事実が、勤務先を出発して間もなく対面信号を見落とし、あるいは見誤るほどに注意能力を低下させるものとまでいえるかは、疑問である。

3  そうすると、本件交差点に差し掛かる直前、成田同は、赤信号を認識し、その信号に従って自動車の運転を制御することができない状態に陥ったものと考えることができ、成田同には、そのような意識障害をもたらす何らかの異変が生じた疑いがあるというべきである。

四  成田同の素因

1  証拠(甲一四、一八〜二〇、三三〜三六、三九、五六、乙二一〜二三、証人阿部弘、原告本人)によれば、次の事実を認めることができる。

(一) 成田同は、昭和五四年に芦別市が実施した職員健康診断により血圧が高いことを指摘され(最高一六〇、最低一〇六)、市立芦別病院で降圧剤の投薬を受けて服用するようになった。その後、昭和六二年九月三〇日実施の昭和六二年度成人病健診では「要指導」の「B」、同年一〇月二六日実施の血圧再検査結果では「健康相談勧奨」、昭和六三年一〇月五日実施の一次診査では「治療中」の「E」、同年一一月一日実施の二次診査では「要医療」の「C」の判定を受け、その間、昭和六一年四月二五日からは藤島医院に通院し降圧剤の投薬を受けて、成田同は、毎日降圧剤の服用を続けていた。成田同の本件事故当日の血圧は、最高一六四、最低九六であった。

(二) 高血圧を重要な原因とする病気として高血圧性脳出血があり、脳出血は高血圧によるものが圧倒的に多い。高血圧性脳出血は、四〇歳から五〇歳代の働き盛りの人に最も多く出現する。脳出血が起こった場合、気分が悪くなって頭痛、めまい、嘔吐などが現われ、重症の場合は深い昏睡状態に陥ることもある。また、全身にけいれんの起こることがあり、それが収まらずに続くときには致命的となる危険がある。このほか、両側の眼球が右か左に向いていることがよくある。

2  これらの事実によれば、成田同は長期間にわたり高血圧症を患っており、その程度は必ずしも軽度とまではいえず、脳出血を発症する素因は有していたものということができる。そして、脳出血が起こった場合の一般的症状と、先に認定した本件事故直後の成田同の身体の状況とを対照し、更に本件交差点への進入態様に伴う疑問などを併せ考えると、成田同は、本件交差点に進入した時点で、脳幹部に出血を発症して意識障害を招いていた疑いが強いということができる。

五  成田同の死亡と本件事故との因果関係

1  以上検討してきたように、成田同は脳幹部の病変あるいは損傷によって死亡したと推認することができること、しかし、成田同の脳幹部に外力による損傷が生じたと認めることには疑問が大きいこと、これに対し、本件事故直前の本件車両の走行状況は成田同の身体に異変が生じていたことを疑わせるものであり、これに加え、成田同が高血圧症を患って脳出血が起こり得る状況にあったこと、本件事故直後の成田同の身体の状況が脳出血を起こした際の症状に比較的合致していることなどを総合すれば、成田同は、本件交差点に進入する際に脳幹部に出血を起こして意識障害を起こし、その病変によって死亡したものと推認するのが相当である。

2  本件車両が衝突後に左へ向きを変えていることをとらえて、成田同はハンドル操作をして左旋回中に衝突したと推認する見解や、成田同が停止後自らシートベルトを外していたのを目撃したとの記載をした証拠がある(甲二二、四三の1、乙一二)。しかし、本件車両は衝突の衝撃で相手車両に押されて向きを変えた可能性も十分にあり得るし、成田同が自らシートベルトを外したのを目撃したとの点についても、その時点では「シートベルトを外して」との問い掛けに何とか反応する程度の意識が残っていたと考えることもできるから、これらの証拠は脳幹出血を起こしたとの推認を妨げるものではない。

また、病的な脳幹出血では発症後生命兆候が停止するまでに一〇分以内といった短時間で死亡することは通常あり得ないとする証拠もあるが(甲四七)、脳幹部に急激な大量の出血があったとすれば短時間で死亡することも考えられるから(乙二〇、証人阿部弘)、これをもって脳幹出血によって死亡したとはいえないということはできない。

3  以上のとおり、本件においては、成田同は通勤途上で脳幹出血の病変を発症し、これにより死亡したものと推認するのが最も合理的である。これは通勤に通常伴う危険が具体化したものではなく、むしろ、成田同が有する基礎疾患が原因となって、偶然通勤途上で発症したものというべきであるから、成田同の死亡と本件事故との間に相当因果関係は認められず、その死亡に通勤起因性を認めることはできない。

札幌地方裁判所民事第一部

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